刀匠 宮入法廣さんを訪ねる
2007年 08月 29日
写真は現在宮入さんが埼玉県立博物館から依頼を受けて復元中の鉄剣を持つ押元先生。稲荷山古墳出土「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」復元をしてみると、当時の高度な技術が分かってくるそうです。
この後、正倉院の御物である刀子(とうす)の復元や、作業場を見学しました。続きを見てください。押元先生の解説が入っています。 <三澤一実>
当時、刀子は木簡(もっかん)を削る日常の道具であったそうです。しかし正倉院に納められた刀子は御物(天皇の持ち物)ですから、当時身分の高い人にとっての装飾品(アクセサリー)としての意味が大きかったようです。写真の刀子は柄(つか)が水牛の角製で、木製の鞘(さや)に銀の透かしが巻かれており、透かしが立体的に見えるように工夫している造形はとても興味深いものでした。鞘は貼り合わせでなく、刳り抜いて製作しており正倉院宝物をいろいろな資料を元に綿密に観察していることが解りました。研ぎと組紐(くみひも)以外はすべて宮入刀匠の手によって作られたそうです。もう一本の象牙で出来た撥鏤鞘刀子(ばちるさやのとうす)は、柄鞘共象牙地で、鞘の表面を紅に染めて花鳥の文様を削り取って表わした撥鏤(ばちる)と呼ばれる装飾手法を用いており、技術の高さはもちろんですが本当にきれいでした。
火床(ほど)をのぞき込ませて頂いてます。鍛錬(たんれん)場は仕事をしているときは、炭の炎の色や鉄の温度を見るためにほとんど真っ暗です。でも私の奥にある鍛造機は磨き込まれておりました。仕事の終わりには必ず磨き上げるそうです。床には赤レンガを敷き詰めてありました。
宮入さんの仕事場と自宅は高台に位置し、そこから見る風景は本当にすばらしく、仕事の疲れを癒してくれるそうです。仕事場と自宅の外見はとても日本刀を作っている所には思えませんでした。(とてもおしゃれな近代建築なのです)作品を創る環境作りにも宮入さんのこだわりが見られました。
お弟子さん達はこの向鎚(むこうづち)を使い、多いときは何人もの人で先手(さきて)を勤めます。(座った師匠が小槌、弟子が 先手となって向鎚を振るいトンテンカン. と打ち、 「相鎚をうつ」と言う言葉はここから来ています。)タモの木を使った柄がとてもいいのだと教えてくれました。この日は日曜日で仕事はお休みでしたが、もし宮入さんのお許しがあれば、今度は学生と一緒に手鎚(てづち)を振るう宮入さんを見学させて頂きたいと思います。
研ぎ場の道具があまりに美しかったので、実際に座ってみせて頂きました。小さな椅子があったのですが、これはおしりをほんの少し乗せるだけで、写真の通りにとても座っているようには見えません。(何時間もこの格好で仕事をするようです)私はこの体勢は、いつ見ても完成されたうつくしい形だと思います。
宮入刀匠、今回突然の訪問にも親切丁寧に対応頂き、本当にありがとうございました。失礼な質問等が多々あったと思いますが、どうかお許し下さい。<押元>
30cm以下を短刀と呼びますが、刀子は形、造りを言います。同じではありません。
遅くなりましたが、修正させていただきました。